多事想論articles

感情移入できる評価環境

 女性は自分の化粧姿を、無意識に客観的な目で評価していると言われています。つまり、鏡の中の自分を別の一人の女性として捉え、その彼女が美人に見えるかを確認しながら化粧をしているというのです。無意識に自分を他人に見立て自己評価できるのですから、男性である私にとっては少し怖い気もしますが、実は書類作成の際にもこれと同じようなことが行われています。

 今の時代、よほど何かにこだわりを持った人以外、書類の作成にワードやパワーポイントといった道具を利用します。思いつくままに考えを文面に起こし、後から手直しするといったやり方を好むのなら尚更でしょう。文書を作成する書き手の立場からすれば、これらの道具はなくてはならない存在です。
 しかし、そんな道具の使いこなしに慣れた私たちでも、ふとしたタイミングで書類を紙に印刷してしまうことがあります。文面の一覧性や色合いの確認を優先すればそれも納得できますが、はたしてそれだけが理由でしょうか?常々不思議に思っていたある日、的を射た解説にめぐり合うことができました。
 書き手は書類の出来栄えを確認するとき、紙に印刷して見直すという行動をあえて取り入れることで、一時的に書き手であった自分を読み手に置き換えているというのです。分りやすい文書かどうかを決めるのは書き手ではなく読み手であるという通説を踏まえると、さらにこの解説の説得力が増すような気がします。

 そうこう考えていくうちに、私にはもう一つ着目すべき大事なポイントが見えてきました。それは、読み手の気持ちになるために、書き手があえて読み手の環境を擬似再現しているという点です。ビジネス文書はまだまだ印刷物として手元に届くことが多く、そのほうが都合の良い場面もしばしばです。だから、あえて私たちは印刷するのでしょう。

 そういった視点で製造業の開発現場に目を向けると、今やCADやシミュレーターといった道具は珍しくなくなり、デジタルモックアップを活用したヴァーチャル検証も盛んに行われています。事実、これらは事前に不具合を抽出したり不必要な試作を減らしたりするのになくてはならないものとなり、設計者の利用環境に根付いています。

 しかし、ここで一つだけ注意が必要です。先の文書の例と同様に、設計者である作り手とユーザーとでは、必ずしもその利用環境が一致していないという点です。設計者のデジタルデータは、モノやソフト、サービスに変換され、私たちユーザーの手もとに届きます。このことは誰もが当たり前に考えていますが、得てして見過ごされがちな問題でもあります。デジタル化による効率化が推し進められている今だからこそ、開発の手を一旦休め、設計の確かさをユーザーの立場になって評価できる環境やそのやり方について考え直してみる機会が必要なのではないでしょうか。

執筆:妹尾 真
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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