多事想論articles

タスク化と変化

 ロンドンオリンピックの盛り上がりもあってでしょうか、炎天下にもかかわらず、私の周りでもランニングしている方の数が増えたような気がします。 フルマラソンのタイムを縮めたいというものから、健康のためと様々でしょうが、「何かいいこと」に向かうために皆さん走っているはずです。また、体力面だけでなく、気分転換、脳をリフレッシュさせるにも,ランニングは効果的であるということから走っている方もいるでしょう。

 走ることで刺激を与えて脳を活性化するというのは、理にかなった方法です。ところが、先日の日本経済新聞に、いつも同じ時間に、同じ場所を走るという繰り返しタスク化すると脳は活性化しない、効果が出にくいという記事が載っていました。 ここでいうタスク化とは、それをやることが目的化されたということを指します。同じことを繰り返すことが目的化されるといつかは飽きてしまう。そうなると、惰性、もしくはそれを行うことが苦行となり、結果として刺激がなくなってしまう。その最たるものがいわゆるやらされ感ということになります。 そういえば、スポーツクラブに週何回通うと決めて通ったのですが、それを続けるのがストレスになったことを思い出しました。先日、ヤンキースに移籍したイチロー選手が、「刺激を得るために環境を変えた。」と言っていました。 イチロー選手のような一流選手でも、長年同じ環境に身を置くと、自分の中で変化を作り出し続けていたとはいえ、いつの間にか刺激が少なくなってしまったのかもしれません。

 何かを繰り返すという取り組みでも、何かを身に着けようとか目標達成のために、繰り返している時には、繰り返すという手段が目的化していませんからタスク化はしていません。にもかかわらず、何度か繰り返しているうちに、徐々に本来の目的を見失わせて、タスク化させる力があらゆる事象に働くのではないでしょうか。 本来の目的を見失わないようにするという意識は大切ですが、それと同時に、繰り返すことを楽しむこと、楽しむためには変化をつけることが必要であると考えます。それが出来れば目的が見えなくなりそうな時もタスク化することを避けられる気がします。

 日本人は改善が得意な民族と言われています。それは日常を単純タスク化させずに、日常の繰り返しの中に変化、成長を求めていける習慣を持っているということでもあります。何事もこのように捉えれば、単純タスクにはならないはずです。 ランニングであればウェアの変化、スピードの変化、景色の変化といろいろ変化はつけられるでしょうから、心身ともにいい影響を及す走る習慣を続けてください。同じように日々の業務においても、時にはやらされ感でやらなくてはならないこともあるでしょうが、業務がもたらす目的を見失わず、また向き合う業務に変化をつけることで、自らにいい影響をもたらして欲しいと思います。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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