多事想論articles

集団思考の罠

 古い映画になりますが、折に触れ思い出す作品があります。『12人の怒れる男』という1957年のアメリカ映画で、罪に問われた少年の裁判で12人の陪審員が評決するまでの審議の過程を描いた秀作です。
 証拠や証言から陪審員の大半が少年の有罪を確信するなか、一人の陪審員が証拠の疑わしい点を指摘し再検証する必要性を主張します。その陪審員の熱意と冷静な推理で証拠の再検証を進めるうち、思い込みや誤解に囚われていた他の陪審員の心が徐々に変化し、無罪の評決に至るというストーリーです。

 裁判ほど重大な場でなくても重要な議題を議論する場は多いと思います。その際に議論が盛り上がらず予定調和の結論に流れてしまうことや、反対に議論が盛り上がるうちに特定のメンバの極端な意見へと集約されてしまうことがあります。
 そんな時に問題なのは、各個人が「周りの多数がそう思っているなら大丈夫だろう。」と考えてしまうことです。いわゆる"集団思考の罠"です。
 『12人の怒れる男』では、一人の陪審員の反対意見によって他の陪審員がその罠から救い出され、"疑わしきは罰せず"という裁判の原則が守られた結果となっています。"集団思考の罠"を回避するには、適切な反対意見が有効で重要だということを気付かせてくれます。

 しかし、現実は、役職や立場が上の方の強い意見や長年の慣例となっている考え方に反対意見は出しにくいものです。そんな時は空気を読んで周囲に合わせることに注力し、自身の思考を停止させてしまう危険性が高まります。
 場の空気を読み適切に振舞うことも大事なのですが、それで意義のある反対意見を控えることになってはいけません。映画ではヒーローが窮地を救ってくれますが、現実はそうはいかないでしょう。重要な議論が必要なら反対の意見も出しやすい場の空気を作ることが必要です。
 場の空気とは参加者一人ひとりの心持ちから阿吽の呼吸で醸成されるものだと考えています。そのためには参加者自身が周囲に流されない心持ちを高めておくことがとても大切なことではないでしょうか。
 阿吽と言えば法隆寺中門金剛力士像の阿形と吽形が有名です。恐ろしい形相の2体の像を見る限り穏やかな予定調和ではなく厳しいやり取りや対決が想像される佇まいです。議論の場では阿吽像のごとく最良の結論を求めて熱く議論できたら良いですね。

執筆:荒川 英俊
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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