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バナナはおやつに入りますか?

▼「言葉の定義」の難しさ
 先日あるワイドショーで「死亡フラグ」が話題に上がっていました。「死亡フラグ」という言葉を知らないコメンテーターたちが、口々に「こういう場合は死亡フラグなのか」、「そもそもフラグが立つってどういうときに使う?」などその概念を解釈しようと議論が盛り上がっていたのを見て、昔の小学生の遠足前の質問定番ネタ「おやつは500円までです」、「先生、バナナはおやつ(という概念)に入りますか?」に通じるものを感じました。その言葉の指し示す概念、範囲などを定義として共通認識化することの難しさは、今も昔も変わらず、言葉を扱う人類にとっては常に付きまとう課題でしょう。

▼「言葉の定義」の本質
 我々コンサルタントが対面するお客様の間でも、「言葉の定義」はよく議論になります。定義がしっかりと決まっていそうな技術用語であっても、よく使う人の間でさえ、意外に定義がズレていたりするものです。物事を関係者間のコミュニケーションによって共通認識化する上で、「言葉の定義」は避けては通れません。

▼定義は決まっているものではなく、作るもの
 「言葉の定義」を認識する上でよく陥りがちなのは、定義が一般的に決まっているものとして扱うアプローチです。一般的な定義を知ること自体が目的の場合はそれでも良いですが、実際にその言葉を使って、その先にある目的を達成しようとするのに必要十分な定義がされているかは別です。

 例えば、「おいしいチョコレートケーキ、買ってきて」と言われて、チョコレートケーキといえば普通スポンジを使ったものだろうと思い、おいしいと評判のチョコレートムースのタルトを対象から外してしまったとしたら、依頼者の目的に合っていないかもしれないですよね。

 そもそも言葉はコミュニケーションや、その先の目的を達成するための道具にすぎません。言葉は生き物と言われる通り、時代とともに生まれては消え、時代に応じて形を変えて来ました。隣室がうるさくて壁をドンドン鳴らす抗議行為だった「壁ドン」が、いつの間にか女子をキュンキュンさせる「壁ドン」にすげ替わっていたりするわけです。言葉は道具。目的を達するために適切に定義したらいいと思うのです。

▼バナナはおやつに入りますか?
 さて、「バナナはおやつに入りますか?」を改めて考えてみると、その質問が出た時点で、先生と生徒の間で「おやつ」という言葉の定義が不明瞭でした。では、「おやつ」の定義は?、と調べることにあまり意味はないことは前述の通りですね。おやつの金額に制限を設けた先生の目的が、遠足で3時の休憩タイムに食べる量(金額)に制限をかけたいのだとすると、改めて今回の「おやつ」は「3時の休憩タイムに食べるもの」と定義すれば良い。生徒もそれを聞いて「バナナを3時の休憩タイムに食べると『おやつ』に含まれる」と判断できます。お互いに「おやつ」に含むものの範囲を合意でき、目的を達するのに十分な定義ができたことになります。(本当にバナナをおやつとして持っていきたいなら曖昧なままにしておく手もありますね。)

 コミュニケーションに必要な「言葉の定義」。一般的な定義に縛られず、目的達成のための共通認識化の道具として、上手に付き合っていきたいものですね。

執筆:三村 真吾
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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