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正しい判断を下す

 深夜にもかかわらず視聴率が50%を越えたり、代表グッズが売り切れたりと、日本中を久しぶりに賑わせたサッカーのワールドカップもスペインの初優勝で幕を閉じました。 あなたも知らず知らずのうちに寝不足に陥っていたのではないでしょうか。 様々なドラマが繰り広げられたワールドカップ。最も感動したのは日本戦でのゴールシーンかと思いますが、私にはもうひとつ、とても印象に残ったシーンがありました。

 それは決勝トーナメント1回戦のイングランドとドイツの試合。イングランドのランパード選手のシュートがバーに当たった後、ボールは明らかにゴールラインを超えたにもかかわらず、地面で跳ねてインフィールドに戻り、ノーゴールと判定された瞬間です。 ゴールが認められていれば同点となる非常に重要な場面でした。この後の試合展開はご承知の通り、終ってみればドイツの圧勝です。全てのスポーツ競技同様、サッカーには明確なルールが存在します。 ルールに則っていれば必ずひとつ正解となる判定がある世界ですから、それほど難しくないように考えられませんか。 しかし、この判定は明らかに誤りでした。厳しい訓練を積んだ世界有数の審判であっても、試合結果を左右してしまうほどの誤判定を現実にしてしまうわけです。唯一の絶対的正解があるにもかかわらずです。 それに比べて我々を取り巻く社会には絶対的唯一の正解が無い、もしくは複数の正解がある事象がたくさんあります。 むしろほとんどのことがそうなのではないでしょうか。我々はそれに対して判断を下していかねばなりませんから非常に難しくなります。 ひとつの正解を探そうという分析的なマインドだけでは、いつになっても判断を下せない状態に陥ってしまうでしょう。

 では日常我々が判断を下す際にはどうすれば良いか。これを考えるには、サッカーの審判が正しく判定するために常に気をつけるべきことが大きなヒントとなりそうです。 それは、位置取り(ボール、選手、ゴールとの位置関係)、見る範囲・観点、そしていわずもがな公正な心です。自ら現場や客先に足を運び、幅広くかつ適切な情報を取得し、偏見なき公正な判断を下すことです。 また、審判には試合の流れを必要以上に切らないという任務もあるので判定を下すまでの時間的余裕はほとんどありませんが、我々が判断をする場合は一息おいて冷静になる時間くらいはあるはずですし、敢えて持つように努めねばなりません。

 下した判断の結果がわかるまでに時間がかかるときは、ずっと心配が続くこともあります。しかし、よい位置取り、見方、公正さを常に心がけていれば、結果に対する後悔はほとんどないと思います。 もし後悔の念が生じるとしたら、下した判断に対してではなく、その心がけが足りなかったことに対してではないでしょうか。 もっとも、サッカーで誤審が覆されたという事例はあまり聞いたことがありませんが、我々の一般社会においては、判断が間違っていたことに後で気付いたなら、被害を最小限にするためにも素直にかつ速やかに訂正することも忘れてはなりませんね。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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