多事想論articles

ちょうど良い失敗

 「人は失敗しないと分らない」、「失敗は発明の母」。失敗を推奨する言葉は意外と多いものです。新しい発見には確かに失敗はつきものですので、内向き、コンサバといわれて久しい日本においては、創造的な領域でどんどんチャレンジを喚起して欲しいものです。とは言え、創造的ではない領域での失敗は極力避けるべきですし、無謀なチャレンジで貴重なリソース(ここでリソースとは人、財産他、対象者に関わるあらゆる資源を指します)を無駄にしてしまってもいけません。一体どんな失敗なら許されるのでしょうか。

 それを考えている時に浮かんだのが、最近病気を患った知人のことです。健康の大切さが身にしみたのか、大病を患った後は健康第一の生活を心がけ、酒は週一日程度に控え、ウォーキングをほぼ毎日行っているそうです。病の恐ろしさ、つらさを経験すると、当たり前と思っていたようなことがすばらしく思え、今までの生活態度を改めたいと考えが変わったそうです。知人の今後の健康を祈るばかりであると共に、冒頭の「人は失敗しないと分らない」という定説がここにも当てはまると感じずに入られませんでした。

 この知人の場合、治癒した後は日常生活になんら支障がないとのことですから幸いです。そういう意味では良い失敗経験だったのかもしれません。ここでいう"良い失敗"とは、糧となる経験であったとともに失敗の程度が良かったという意味です。自覚症状があまりにも軽すぎて自然に治ってしまったとしたら生活習慣は変わらなかったでしょうし、反対に手遅れになってしまったとしたら元も子もありません。健康面においては失敗をしないに越したことはありませんし、ちょうど良い程度に失敗することをコントロールするのも難しいですが、あらゆる分野において"ちょうど良い失敗"をすることが向上に大きく効いていると考えます。

 社会に目を向けると、最近はちょうど良いどころか小さな失敗も許されないという雰囲気が立ち込めているように感じます。グローバル競争で今までの優位性が失われつつある状況で日本中がピリピリしてしまっているのでしょうか。そしてこれは大人の世界だけにとどまらず、21世紀を担う子供の世界でも同様です。好奇心が旺盛であるはずの子供に対して、危ないものには触らせない、やらせない、近づけないという風潮が強いと感じます。本来は小さな子供も熱いものにちょっと触って熱いということを体で感じれば、熱いものに対しての接し方が身にしみるはずです。次回、同じような場面に出くわした時には、咄嗟に熱さを回避するような反応をするでしょうし、定量的なデータを取ることは出来ませんが、大やけどを免れる確率も確実に上がるでしょう。臭いものにはふたをして、五感で感じさせないということでは子供の時分からチャレンジ精神を芽生えさせないこととなり、非常に不幸です。

 短期的な結果が求められ、真の社員育成に無頓着となっている会社も見受けられる中、あなたの身の回りには"ちょうど良い失敗"が許される雰囲気はあるでしょうか。あなたが自らチャレンジするべき立場の方であって、その雰囲気があなたの職場にあるとしたらそれは非常にありがたいことです。そこでの経験を是非、次に活かしてほしいと思いますが、あくまでもちょうど良いレベルの失敗までであることは忘れてはいけません。一方、あなたがその雰囲気を作る立場の方であれば、あなた自身、メンバー、チーム、会社にとって取り返しがつかなくならないようにレベルをコントロールしながら、"ちょうど良い失敗"をしても良い機会を作って下さい。そして失敗という結果を活かすことが最重要です。それが出来れば、成功に繋がる芽が出て、さらには予想を超えた成果に結びつくことでしょう。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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