多事想論articles

情報に踊らされるな

 地震が発生した日、首都圏の電車がすべてストップし、例に漏れず私も帰宅難民と化しました。仕方なく品川から横浜まで、まさに箱根駅伝の経路そのままを歩いて帰宅しました。その道中では携帯電話もメールも使えず情報が取れない、発信できないという状況におかれてこの上なく不安になり、改めて情報交換が自在に出来ることをもたらしてくれた文明のありがたさを痛感しました。

 被災地の皆様に比べれば小さいものの、震災後、首都圏でもかなりの混乱が続いています。そこに身をおく者として伝えたいのは、決して「情報に踊らされない」でほしいということです。地震発生当日は、情報授受ができないことに翻弄されましたが、日々の生活においては、情報はむしろ過多な環境におかれています。それが途絶えた時に、断片的に入ってくる情報に対しては敏感になり、誤った反応をしがちです。今回も、韓国まで放射能が到達するとか、買占めのせいでスーパーから物が無くなっているなど、デマや間違った情報が広範囲にわたり拡散しました。

 有事においては、嘘か真か瞬時に判断がつかないような情報であればあるほど、伝播するスピードが速いものです。広がっていくうちに内容も曲解され、その結果、世の中を混乱させます。こういった状況を避けるためには、普段から楽観でもなく、悲観でもなく、誰かの主観でもない正しい情報を入手することと、それに基づいた判断を実践していくことが必要です。そのためにはひとつの情報のみを頼りにしてはいけません。可能な限り複数の情報ルートを確保し、その信憑性を確かめることです。無いと不便であることを思い知った携帯電話、ネット等が使える環境があれば、信頼できる仲間の協力も得られるでしょう。

 一方、情報が途絶えてしまい正誤の確認が困難な場合には、普遍的なことを軸に原理原則に立ち帰る事、先人の知恵に従う事が重要です。原理原則に立ち返るということは、私心を無くすことでもあるので、エゴはなくなるはずです。そうなれば何が今やるべきことなのかが、おのずと見えてくるのではないでしょうか。先人の知恵もしかりです。非常時には、知識として学んだ耳学問、机上で作られたマニュアルより、実体験に基づいた知恵がやはり頼りになるのではないでしょうか。多くの実体験を積んでいた先人の「地震が来たら井戸を見ろ」との教えを守り、大きな津波を察知できたという方がいたという話も聞きました。

 今の時代、誤った情報が横行しやすくなったということは否めません。しかし、その事実を認識した上で、信頼できる情報を得られる仲間の繋がりや正しく判断し行動することの重要性を真剣に考えてほしいと考えます。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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