多事想論articles

「今、何時?」

 ごく自然な会話の中で「今、何時?」と聞かれた時、あなたは何と答えるでしょうか?午後6時30分などと具体的な時刻を答えているかというと、意外とそうでもないことがある気がします。「大変、もうこんな時間」とか、「もうすぐ会議が始まる」とか、はたまたサザンオールスターズの歌詞のように「まだ早い」とか、こんな答えが事実多いものです。もう帰りたいのだろうかと質問者の状況を推し量って、先回りしているのであれば答えを大きく外しはしないのでしょうが、回答者が自分本位に答えて、質問者の意図に応えていない会話を様々な場面で耳にします。

 先日、この気味悪い現象の例をTV番組で伺うことがありました。幼児、小学生向け学習塾・花まる学習会の代表、高濱正伸氏が話されていた塾のお迎えでの一幕です。細かい内容は忘れましたが、


  母「今日の授業はどうだったの」
  子供「おなかがすいた」
  母「そうだ。○○さんに渡す手紙忘れちゃったわ」

というような流れです。高濱氏も、会話と言えないような光景をよく目にするそうで、相手を思いやり、合わせることができない大人、子供が多いということを問題視していました。

 意味から考えると会話は成立していなくても、ほとんどの場合は何となく形式的な会話は成立していきます。たとえ的を射ない回答であったとしても、自分本位の捉え方による回答が返ってきた時、質問者も自分本位に瞬間的に解釈して、(もはや解釈すらしていないのかもしれませんが)何の問題もなかったように会話が流れていくのです。先の例においては、場を読んでいるという空気も、以心伝心の概念も存在しません。物質的な空間は共有していても、相手の目線に合わせて、その「場を共有する」ことができていないのです。子供に教える立場の大人が日常からこのレベルでは、「場を共有する」ことが子供の身につくはずもありません。無論このままでいいはずはなく、子供を小さいころから指導することが必要なのはもっともではありますが、まず大人同士の会話から正していく必要があります。

 「場を共有する」ことは、まず相手の意図を汲み取ろうと意識することから始まります。その際に自分本位にあまり先回りをしすぎないことが重要です。意図の汲み取りができたら、次は相手にとって極力理解し易い表現で返すことです。この二つの繰返しを老若男女、誰に対しても行うこと継続すれば改善は必ず図れます。

 震災以降、絆の大切さを感じて結婚するカップルが増えてきたという話を耳にします。絆を深めるためには、「場を共有する」ことは不可欠なはずですので、世の中、いい方向に向かっているのかもしれませんが、あなたご自身は、場を共有できているでしょうか。もし、「ん?」と感じた方は、まずは最も身近な人と場を共有してください。そうすることであなたの何かに、そしてあなたの周りの何かに変化が起きることでしょう。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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