多事想論articles

過去の教訓

 3月11日の大震災から半年が経過しました。復旧、復興へ向けての動きは十分とはいえないながらも、一歩一歩進んでいます。一刻も早く、地域の生活を再生することが最優先であることはいうまでもありませんが、この悲惨な出来事を繰り返さないことは再生と同様に重要なことです。

 先日たまたま、寺田寅彦エッセイ集「科学と科学者のはなし」に収められている「津波と人間」という一編を読んだのですが、悲惨な出来事を繰り返さないことの難しさを痛烈に感じずにはいられませんでした。このエッセイが書かれた昭和8年(1933年)は、明治29年(1896年)の「三陸大津波」とほぼ同じ自然現象が起こった年で、それについて思うことがつづられています。

 「津波の後、初めは高いところに住居を移しても、時間が経つにつれ、いつともなく低いところを求めて人は移ってしまった。津波を経験した人はいずれ年をとってこの世を去ってしまい、その災害を知らない世代になったころに自然現象が繰り返される。ある規則性を持って繰り返される自然現象なのだから未然に防ぐことが出来てもよさそうだが、実際はなかなかそうならない、というのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。」

 明治29年の津波は26,360名の犠牲者が出るなど被害は甚大であったため、災害再発防止のための様々な策が取られたことは間違いありません。しかし、直接痛みを被った世代がいなくなってくると、再発することに対しての構えが軽くなってしまったということでしょう。そしてこのエッセイ、今書かれたとものといわれても納得できてしまいます。この事実は、残念ながら、当時と同じことが今回世代を超えてまた繰り返され、再発防止できなかったことを意味します。

 モノコトづくりの世界でも不具合の再発防止が大きなテーマです。不具合発生防止のためにレビューが強化されたり監視の目が強化されたりしている間は、多少の不具合は生じるものの大事故にはつながりにくいのではないでしょうか。また、モノコトづくりにおける不具合は自然現象ではないことが多いので、対策が打たれたり改善活動が繰り返されたりして完全に撲滅できることもあるでしょうし、様々な技術を活用して未然に発生を抑えられることも多いでしょう。しかし、月日が経ち、不具合が発生したことを関係者が忘れ去り、不具合に困らされた日々を経験していない世代が中心になった時に、過去と同じ様な原因の大事故が襲ってくるのかもしれません。

 繰り返してはいけないことを経験した人は、経験していない人にその本質を伝えていかなければなりません。しかし、伝え続けていくことは非常に難しいことを過去が証明しています。私たちは、その難しさを肝に銘じながら、過去を乗り越えて、強い国、組織、家族を創っていく覚悟を持たなければいなりません。そして、具体的な行動を通じて、忘れ去られない仕組みを作っていきましょう。日本人は過去の教訓に学ばないなどという評判を耳にすることがないように。

 

 参考文献:「科学と科学者のはなし」寺田寅彦エッセイ集(編:池内 了) 岩波少年文庫

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

資料ダウンロードはこちら