多事想論articles

定量表示

 今年の夏、オリンピックサッカーの日韓戦をはじめ、日韓に色々あった最中、奇しくも家族でソウルの遊園地ロッテワールドに行っておりました。遊園地に行けば、親は列に並んで順番を取ることもメインの役割となります。仕事柄か、行動特性からかは定かではないですが、子供が乗りたい乗り物の待ち時間を見ながら、次に乗る乗り物の列に先に並んで子供の待ち時間を少なくするということを、普段は国内の遊園地でやるように、今回もやろうとしました。 しかし、見事に失敗しました。それは表示されている待ち時間の定量表示の予測値が実際の待ち時間と大きくずれていたためです。ある乗り物では30分待ちの表示で、60分近く待たされました。一方、同じ30分待ちの表示であっても10分程度で乗る順番が来てしまったものもありました。これだけ表示と現実がずれると、計画的な動きを取りたくても取れず、実際の待ち時間がどれほどになるのかわからないまま、地道に並ばざるを得ませんでした。

 定量表示といえば、最近の歩行者用信号機は待ち時間を信号機の外側に棒グラフ表示したりして、待ち時間があとどれくらいかの情報を与えるものが設置されています。あの待ち時間表示は、今実際に行われているプロセスの測定値を定量表示しているので現実との差がありません。こういった測定値や、日本の遊園地で体験するような精度の高い予測値に慣れ親しんでしまうと、定量表示されたものは合っていて当たり前という錯覚に陥ってしまっていた気がします。

 いろいろなものが定量的に見えると、受け手はある種の分かった感を覚えるのではないでしょうか。不確かな情報でも定量化されるとすっと受け入れ、精度が良い情報であると思いこむ習性が人間にはあるように思えます。それは精度の高い測定値というものに日頃から接しているからです。遊園地の待ち時間の間違い程度であれば軽い家族喧嘩程度で済むものの、予測値に対しては、精度に留意し、分かった感に流されないようにないといけないときが多々あります。 信じ込んで流されると一大事につながる恐ろしい予測値は、世の中いたるところで見受けられるからです。年率○%の運用とか、売上△%毎年上昇とか、□までに終了予定とか、発生確率◇%とかの類のものです。これらの数値は、経験値の最大値なのか、その人の思い込みなのか、はたまた、だますために作りこまれた値なのかをしっかりと見極めて欲しいものです。

 私たちは、様々な予測値に囲まれて働き、遊び、営んでいます。もはや、この世のスピード感は予測値無しでは成り立たないとも言えます。そんな世の中だからこそ、その値どうなの?と冷静に問いかけてみることが必要です。その過程から、予測値の判断力も上がり、更には信頼できる予測情報元、ルートを持てるようになってくるのではないでしょうか。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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