多事想論articles

そこそこで止まらない

 先日、歯科医院にて、治療がてら歯石を除去してもらいました。その際、どうやら右側の歯に多く歯石が付着していたようで、歯科衛生士さんに「右利きですか。」と問われました。右の歯、特に奥の方は右手では磨きにくいため、歯石が着きやすかったのだろうということでしょう。ところが、私自身は歯を磨くのは主に左手で行っており、左手では磨きにくい、左の奥の歯だけ右手で磨いていたのです。自分で磨きやすい、得意だと思っていた左手での磨きが十分でなく、得意でないと思っていた右手での磨きの方が良くできているという事実に正直驚きました。

 その日の夜、歯を磨く時に、どんな感触で磨いているのかを意識して自己観察してみたところ、右手で磨いているときには歯の感触を確認しながら磨いていることに気づきました。言い換えれば繊細に磨いているというのでしょうか。一方、左手はなぜかその感触がいまひとつ伝わってきませんでした。これは、得意ではないと認識していることを行う場合には、無意識ながら、ある種本能的に丁寧にやろうとしていて、慣れたものに関しては注意を余り払わなくなるという現象の典型的な事例であると思います。

 最初は、細心の注意を払っているのに、慣れてくると適当になる。付き合い始めのカップルは、互いを思いやりながら仲良くしているのに、付き合いが長くなってくると気遣いが無くなって別れやすくなるなどという人間関係もその類のようです。また、仕事に対してもそうで、新しい仕事に取組む際には、下調べもして、注意深く、思慮深く行うものの、慣れてくると自分は十分に出来るという潜在意識が芽生え、適当にこなしてしまう傾向になりやすくなるのではないでしょうか。そうなると習熟レベルはそこまでで止まります。その習熟レベルは、人並みに達したといった安心感、もしくは少し並のレベルを越えたという優越感が出るあたりで起こります。そうなると、品質は通常は悪くはなく、そこそこのレベルにはなりますが、それ以上にはなりませんし、その状態が続くと不注意なミスにも繋がりかねません。慣れた仕事でミスを起こした。あなたも経験があるのではないでしょうか。

 エキスパート、達人といわれる人たちは、この状態に陥らない術、そして、たとえ陥ったとしてもいち早く抜けるという行動特性を持っています。その根本は、現状に満足せず次なる目標、到達点を見つけそれに向かっていけるかということなのでしょう。常人にとっては、それを継続するどころか、目標設定することすら中々難しいことでしょうが、本人の成長を支えてくれる支援者、理解者がいると実現の可能性は格段に上がると思います。チームとしてならば、互いに競争、刺激しあうというのも良い方法です。

 最近「歯医者さんに褒められる歯になりましょう」という歯磨きのテレビコマーシャルがあります。歯磨きの達人とはならなくても、別に褒められなくてもかまいませんが、そこそこ磨いてその結果、歯の健康を害してしまうということにならないようしたいものです。一事が万事ですから。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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