多事想論articles

リベラルアーツを学ぶ

 最近、人材育成に関する場面で、リベラルアーツという言葉を耳にする機会が増えた気がします。振り返ってみると、2012年に池上彰氏が東京工業大学のリベラルアーツセンター専任教授に就任された辺りからでしょうか。最近では、秋篠宮佳子様がリベラルアーツカレッジとして有名な国際基督教大学に合格したこともニュースになりました。リベラルアーツとは、歴史的な意味合いは置いておいて、一つの専門を突き詰める前に、専門以外の学問を幅広く学ぶ、「教養」という意味合いで定義されています。例えば、法律を専門とした人は、数学、コミュニケーション学、語学、歴史文化といったものが対象です。(ただ、法律を専門とすると決めていない時に学ぶのであれば法律もその対象となります。)

 話題として取り上げられるようになった背景としては、価値観の多様化、グローバル化が進展したことにより、人間としての土台となる基礎を身につけておくことが重要だという認識が高まってきたことが、主因であると考えられます。言い換えると、自分の軸として、専門の強みは大切ですが、軸を立てるベース(教養)無しでは、現在、さらに将来を生き抜いていくための判断、意思決定もおぼつかないというところでしょうか。タフな世の中になって、初めて教養の必要性が見直されているのでしょう。

 そんなことを考えながら、基礎が出来ていないなら何を学べば基礎固めが出来たといえるのかなどと、悶々とリベラルアーツに関して掘り進んでいった挙句、人と人が関係する場を前提に存在する概念であるというところに、浅いながらもたどり着いた感があります。それは、何(What)を学ぶかはもちろん大切なのですが、どんな環境・場所で(Where)、誰から・誰と(Whom)、どのように(How)学ぶかによってその存在価値が大きく変わりやすいものであるからです。厳しい世の中であればあるほど、正解を暗記したり、独りよがりに理解したつもりになっていたりする教養もどきでは駄目です。また、ある専門性・知識に偏った評論に翻弄されている会社も残念ながら少なくありません。こういった状況に対峙するにはやはり真の教養が身についていなければなりません。そのためには、多様な人の、多様な刺激の中での学びが必要です。

 読者の皆さんの多くは社会人ですので、大学で学ぶイメージの強いリベラルアーツは過去のもので、学ぶということを自分ゴト化しにくいかもしれません。しかし、リベラルアーツの学びに関して、敢えて、いつ(When)は入れていません。それは学ぶのに遅すぎるということはないからであり、敢えていうならば、いつでも(Always)OKでしょう。専門を持ってからで教養を身につけるのは、その気さえあればいつになっても遅くないはずです。タフな世の中生き抜くために、自分の軸のベースを見直してみるのも良いのではないでしょうか。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

資料ダウンロードはこちら