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忘年会で忘れるもの・つなげるもの

 日本では、年末に忘年会という名の下にお酒を飲みながらコミュニケーションを図ることが文化として根付いています。お酒を飲まない人でも、忘年会だけには参加するという人も多いようです。まさに日本の年末の文化といえる行事です。忘年会と称して毎日飲み続けの方は、忘年会の会場には決して忘れ物をしないよう、またくれぐれも体を壊さぬようご自愛いただきたいと思います。

 忘年会の慣わしは、室町時代頃の皇族が執り行った、連歌の会がルーツと言われています。それから江戸時代になり、身分制度の下、庶民が一年の憂さを晴らすために集まって酒を飲んだという辺りから、その年あったいやなことを忘れる「忘年」という意味合いが強くなったようです。当時、年貢の取立てに苦しむことも多かった庶民は、幕府、大名に対しての不満を吐き出して、忘れるくらいすっきりするという目的を果たすということは必要なことであったと思います。

 このような変遷を経て、1年を振り返るという忘年会がかたち作られてきたわけですが、その場で憂さを晴らして、すっきり出来ればそれはそれでその人自身に効果はあり、現代の多ストレス社会ではそういう必要性もあろうかと思います。しかし、憂さ晴らしだけではなく、そこから明日へと何かをつなげることが重要になってきます。江戸時代の庶民も、年を越せるという安堵、安心というのを近隣の民と分かち合い、来る新年へ向けての英気を養い、つなげていたはずです。

 忘年会に限らず、ひとつの区切りを迎えた時点で振り返りの場を持ち、明日へつなげることは、決して難しいことではありません。なぜなら人間誰しも振り返りの習慣というものを持っているからです。幼少を思い返していただければ分かりますが、自転車にうまく乗れなかった時には、今度どうすれば乗れるだろうと真剣に考えたでしょうし、ペーパーテストでもスポーツでも、終わった時にはミスした点の修正ポイントは何なのかを振り返ってきたのではないでしょうか。この様に悔しい、残念な思いをした時に、明日からの行動につなげる何かを見つけられたら良い振り返りになります。そして、自転車に乗れるのが当たり前になると、至らなかったこと、悪かったことを繰り返さなくなるということで、いつしか、いい意味で「忘れる」という境地に至るのでしょう。

 忘年会、振り返りの場は、すっきりするという意味合いでは堅苦しくないのは勿論、誰もが年齢、立場など忘れて、アドバイスする側、相談する側のどちらの立場にもなれるオープンな場にして欲しいと思います。決して、自己主張とか、駄目だしに終始せず、労をねぎらいながら、集まったメンバーそれぞれが明日につなげる気付きを得られることを期待します。それでは今年も一年間お疲れ様でした。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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