多事想論articles

目標達成

 目標設定、目標管理など、事業や人材を育てていく際に、必ず登場するワード"目標"の二文字。まず、目標に関する二つのケースを一読ください。

ケース1:
Aさんは、1ヶ月に本を10冊読むという目標を立てました。目標に向けて、最初はじっくりと読んでいたのですが、時間が取れなくなってきて、最後はとにかく数日で読みきりました。その結果、10冊読むという目標は達成されたわけですが、内容はほとんど頭に残りませんでした。

ケース2:
Bさんは、スポーツの大会で優勝するという目標を立て、その目標達成のために弱点強化、パワーアップなど様々な練習を積み重ねました。その後、試合に臨んだのですが、残念ながら優勝することは出来ませんでした。こちらは目標を達成することは出来なかったので、もちろん悔しさはあるでしょう。しかし、次のステップへのモチベーションが上がりました。もちろん練習を重ねたことで実力も向上しました。

 ケース1では、目標は達成したのにもかかわらず、真の意味での達成感、充実感が得られていません。一方、ケース2では目標未達成ながら、納得感がそれなりに得られています。どうしてこんな違いが起こるのでしょうか? 

 もうお分かりだと思いますが、この違いは「手段が目標になっているか」、「成果が目標になっているか」から生じています。手段が目標になっている場合、そのことをやり遂げることが目的化し、その手段を実行することで、そもそも目指すこと、実行したらどんなうれしいことにつながるのかを見失っている場合があります。ケース1を解説すると、本を読むことで何かを達成する、または達成するための能力を向上させるということが、本来の目標として意味づけされ、掲げられなくてはなりません。その目標達成のための具体的な手段の一つとして本を読んでいるわけですが、ここでは読むこと自体が達成目標となってしまっています。

 手段が目標となっていた場合、自分は何のためにこんなことをやっているのだろうと途中で気づいて軌道修正できれば良いのですが、盲目的に実行してしまうと、疲労感だけが残り、そこですべてが停止してしまうということになりかねません。このようなことが、実際に支援している企業の実業務においても、意外と多発しています。たとえば、ステージゲートを適用するとか、ナレッジを整理してマニュアルを作るとかです。これらは一回やって終わりではなく、改善したり、活用しなくては意味が無いのですが、実行者はまったくその意識を持てていないということがあります。

 業務が多忙になると、上司が与える目標が手段のみであったり、また部下はそれに慣れてしまっていたりします。誰もが本来の目標は何かを捉えた上で、それを達成するための手段は何かを考え、選び、そして行動すると言う原理原則をどんな時でも、決して忘れることなくあらゆることに臨んで欲しいものです。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

資料ダウンロードはこちら