多事想論articles

地図を広げて見る

 先日、ロードサービスのJAF(日本自動車連盟)からドライブMAPなるものが送られてきました。広げて見るオーソドックスな紙の道路地図です。その地図を改めて見てみた時、高速道路網の広がりや、あまり行かない場所の情報などが入ってきて、懐かしさと共に新鮮さが入り混じった妙な感覚を覚えました。一昔前までは、運転する時には道路地図は欠かせないアイテムでしたが、ナビゲーションシステムの普及により、地図は無くても困らない世の中になりました。すると、自然と紙の地図を見る機会も少なくなり、あえて自分から購入するなどということはなくなってしまいました。紙の地図からと疎遠になってしまっていたことが、妙な感覚の原因だったと思います。

 今や当たり前となったナビゲーションシステムを使うと、出発点から目的地までの適した道筋を教えてくれて、かつ目的地まで導いてくれますので、移動するという機能的な目的に対して何不自由なく達成できます。渋滞情報などの移動に対して影響のあるもの以外、余計なものは一切入ってきません。言うならば直接的な目的に関係していること以外に目を向ける必要が無く、目的に関係しているところのみしか見なくなっているのです。電子版のニュースなども読みたくないものまで目を通すことは少ないでしょうから、機能的な目的達成手段としての優れたアイテムの良い例です。このように便利な世の中になるにつれて、知らず知らずのうちに視野を広げる機会が減っています。

 するとどうなるかと言うと、気づかないうちにものを俯瞰する力が衰え、大局的に捉えて考えることが出来なくなる危険が生じてきます。悪い言い方をすると、目先で目立ったある事象に振り回されて、判断を下すようになってしまうのではないでしょうか。かく言う私も、地図を懐かしく感じている位ですので、うかうかしていられないと肝に銘じた次第ではありますが、個人だけではなく、最近の企業を見ていると目先にとらわれた疑いたくなるような判断がされることが多々あり、個人レベルに収まらない俯瞰力の低下に見舞われている気がしてなりません。

 「木を見て森を見ず」という格言がありますが、明確な目的という立派な木であればあるほど、その木以外は目に入らないでしょう。また、周りの快適な状況はそれを助長するでしょう。便利な世の中になればなるほど周りも先も見ようとしなくなるという必然を認識した上で、あえて見る範囲を広げてみるという機会を持つ。そういった心理的、時間的な余裕を意図的に作ってみてはいかがでしょうか。木の周りを囲む森を見ることで、きっと今まで見てない何かが見えるはずです。とは言え、リオオリンピックのワンプレーごとに一喜一憂するのは全くもって賛成ですが。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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