多事想論articles

祭典が終って

 スポーツの祭典、リオデジャネイロ・オリンピック、パラリンピックが終りました。日本選手のすばらしい活躍もあり、印象が薄れているかもしれませんが、ロシアの国家ぐるみのドーピングによる選手の出場停止は、スポーツの祭典の歴史に大きな傷を残しました。オリンピックには、最終的に、陸上以外の競技には271名のロシア選手が参加したことで、国との連帯責任で全選手が出場できなくなるという事態は免れました。しかし、パラリンピックでは、出場予定であった全選手が出場停止となりました。パラリンピック出場予定のロシア全選手が出場停止となった理由は、「国際パラリンピック委員会の決定根拠を覆すだけの事実を示せなかったから」(スポーツ仲裁裁判所)だそうです。

 一方で、義足の走り幅跳びのドイツのレーム選手が、健常者の記録を超えそうだと話題となっていました。レーム選手はオリンピックへの出場を志願していましたが、時間的なリミットもあり義足が有利に働いていないことを十分に証明できなかったとのことで、オリンピックへの出場を断念(パラリンピックには出場)せざるを得ませんでした。

 これらで使われた、「決定の根拠を覆すだけの事実を示す」や「有利に働かないことを証明する」と聞いて、何をどこまでやればよいのかピンときた人はおそらくいないのではないでしょうか。こういう時こそビッグデータ分析でもやればゴールに近づけるのかもしれませんが、そもそものゴールが明確には定義されたことがありません。そうなると、是非は判断する側の意向ひとつで、決まると言えてしまいます。

 あるものがXでないことを証明するには、①:対象がYであること、XとYは相容れないものであることを同時に証明するか(血液型がA型でないことを証明するには、自分の血液型がB型であり、A型とB型は違う。)、②:Xでないことの必要条件を特定し、それを証明する(A型でない条件はB型かO型かAB型であり、自分の血液型がこのいずれかである)。このどちらかを満たさねばなりません。まさに、事件での身の潔白証明や数学の証明問題そのものです。

 血液型の例は判断基準が明確なため、証明も簡単なのですが、世の中は、人の感情も含んだり、未来に向けてのことであったりと、完全に証明することが難しい複雑な事象がほとんどです。そして、その事象に対して一度ある判断が下されると、覆すことはとても困難になります。基準が間違っていることを相当なパワーをかけて証明しようとしても、複雑な事象を網羅しつくすことは困難を極めます。そして、ひとつの漏れでも指摘されたらダメです。そうなると、覆すことに取り組んだ者が悪者の様な扱いを受けることもあり、覆そうとすることへの壁が高くなり、却って基準を強固にすることとなってしまうからです。

 複雑に絡み合った事象を解き明かすためには、まず極力整理することは大前提です。しかし、あるところから先は、白黒つかなく証明ができない。それにもかかわらず、限られた情報で決めなければならない時、拠り所は何になるのでしょうか。一度決断された過去事例か、どこぞの誰か(AIかもしれない)の意見か、はたまた占いか。正解は何なのか、明言はできませんが、複雑に絡み合った事象に全面で向き合い、そして将来も視野に入れた判断をすることが、これからの世の中には必要であると考えます。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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