多事想論articles

譲らないことの顛末

 「あなたが貫きたいこと、譲れないことは何ですか。」という問いに、何と答えますか。家は一戸建てで海が見えるところにしか住まない、付き合う人は身長○○センチ以上に限る、健康のため日が変わる前に就寝する、宵越しの銭は持たないなど。軽い、些細なことから、仕事におけること、人生において大きな影響を占めることまで、多種多様なものが存在します。(実際には調整、譲歩、忖度などで譲ってしまう場面も少なからずあるでしょうが)

 このように、誰しもが多かれ少なかれ、貫きたいこと、譲れない条件を持っています。それは周りから見るとそんなに気にしなくてもいいのではないかということもあるかもしれませんが、本人にとっては気になって仕方がないことであり、人の多様性を表現するのに一番わかりやすい特性であると考えます。たとえ周りから見たら意味不明でやめたほうが良いと意見されたとしても、それに費やすエネルギーが莫大であったとしてもです。そして、このようなことは"こだわり"と表現されます。

 このこだわりという言葉に対するあなたの印象はどんなものでしょうか。例えば、節約にこだわって人に優しく接することが出来ずに一生を送ったと聞くと、ケチケチして、穏やかさがない人生を送ったというようなイメージを持ちやすいでしょう。そのこだわりは強すぎるとか、悪いこだわりと称されます。一方、同じ節約へのこだわりでも、貯めたお金で施設を作って地域のために貢献したというようなことが最後に付くと、無駄なことに浪費せずに良い習慣を持って生活していたんだなとなり、こだわり自体が素晴らしいものとなります。この違いは、こだわりの結果、結局どうなったのかによって、言葉の持つ意味が大きく変化することを意味しています。長距離選手であれば、毎日50キロの走り込みにこだわった場合、大成した選手にとっては良いこだわりを持ったとなりますが、ある選手はそのこだわりが仇となり、疲労骨折などで最悪選手生命を絶たれることになるわけです。

 つい最近、十一歳の福地啓介君がオセロ最年少世界一になった快挙のニュースが、日本中を駆け巡りました。オセロは大逆転がおこるゲームであり、世界一を決める試合も本当に終盤まで勝負の行方がわからない展開であったと報じられていました。福地君は日本の小学生の大会で3年ぶりに優勝してそのまま世界一へ上り詰めたそうです。2年前に小学生の大会で優勝出来なかったところから、世界一にたどり着くまでのこだわりが果たして何であったのか、それは計り知ることはできません。ただ言えるのは、一つ頂点を極めたことで、持ち続けるこだわりは確かなものになったでしょうし、更なる飛躍のために、今のこだわりの一部を捨てて行くことも必要になるかもしれないということです。私達も、こだわった結果が見えてきた時、逆転を信じてこだわり続けるのもよし、次を見定めて切り替えていくのもよしなのでしょう。最後に、自分で後悔をしないこと、周りに迷惑をかけないことができていれば。

北山厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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