多事想論articles

常識を疑え

 最近、織田信長関連のドラマを良く目にする。大河ドラマであったり、漫画原作の奇想天外な話であったりするが、概ね共通しているのは、最後は本能寺の変で、明智光秀が信長を討つということである。これは、ほとんどの人が常識として知っていることと思われるが、実は真実であると証明されているわけではない。

 本能寺の変とは、中国地方の毛利攻略中の羽柴秀吉の援軍として、信長が派遣した光秀が謀反を起こし、京都本能寺に宿泊中の信長を襲撃したという事件である。信長に仕えていた光秀は、粉骨砕身働いていたにも関わらず、信長からパワハラを受けて恨みに思い、また信長の数々の非道な行いに憤慨していたという。そして、事件前夜になるまで重臣にも打ち明けずに一人で謀反を計画し、「敵は本能寺にあり」という有名なセリフと共に信長を襲撃した、というのが通説である。
 ところが、ある研究者によると、実は光秀は信長が本能寺に招いた徳川家康を討ち取るために配備されていたのだが、その計画に乗じて家康ではなく信長を討ち取ったというのだ。なぜそれが現在常識と思われているような経緯になっているかというと、秀吉が自分の天下を揺るぎないものにするため、そのように喧伝したためである。良く知られている「太閤記」は、秀吉のプロパガンダのために書かせた「惟任退治記」が元になっている。確かにこの家康暗殺計画乗っ取り説だと、なぜ単独犯であった光秀に部下がすぐに従ったのか、また信長が全く気付かなかったのか等、今まで納得がいかなかった多くの点が説明できる。(もちろんその論拠は、様々な証言や文献を照合し、推定した結果である。)この「秀吉が捏造した本能寺の変の顛末」が常識として定着してしまったように、常識とはあくまで大多数の人が持っている共通の認識であり、決して正しい知識とは限らない。たとえ事実でなかったとしても、それが大多数に伝播すれば、それは常識になってしまう。

 同様に、これまで伝播され今日では常識と思われている先人の知見は、製品開発においても数多く見受けられる。しかし、常識と思われていることが本当に正しいのかは十分に吟味する必要がある。ある製品・技術の成り立ちを明確にしようと要件を分解していく際に、その要件を成立させるためには何が必要かとの問に対する回答理由が、「従来からそうなっているから」とか、「よくわからないが経験的にそれで成り立っているから」といった場合には要注意である。このような根拠が明確でない技術は、使い方・使用環境といった外乱や設計変更の際に、それらの影響の有無を判断することができない恐れがあるためである。ゆえに、そのような「常識」をそのまま鵜呑みにすることは、いずれ問題を起こすことになりかねない。

 このように、あいまいな常識を疑い、設定した要件の根拠を明確にしておくことは重要である。現状根拠が明確でない要件は、優先的に検証実験等を実施し、メカニズム解明を図るべきである。そうすることで根拠をもった形式知として知見が資産化され、開発業務において質の高い、かつ問題の未然防止に繋がる知識として有効活用できるようになる。

執筆:齋藤 豊
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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