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『業務の見える化』で生まれる笑顔

 先日、前職の後輩と久しぶりに飲む機会がありました。彼に近況を尋ねると「最近も忙しくて、なかなか大変です!」と明るく答えました。

 彼が入社二年目を迎える数年前にも、共に飲みながら同じ様に会話を交わしたことがあります。そして同じ様に「忙しくて大変です」という話を聞きました。ただし、その時は「辛くて会社を辞めたい」という相談でした。彼は明るい性格で、いつも「笑顔」で仕事をしていました。周囲の評判も良く、とても「辞めたい」と言い出す雰囲気ではなかったので、当時の私はその言葉に大変ショックを受けたことを覚えています。

 前職は製造業で、私たちはそこで技術開発を行っていました。当時、若手の業務といえば、先輩達から依頼される業務をひたすらこなすというものでした。その中で、主担当のプロジェクトがあるわけではない若手の業務は特に管理されていなかったこともあり、仕事を頼み易い若手には先輩達から毎年山ほどの業務が集まりました。その例に漏れず、彼にも複数のプロジェクトの業務が集中し、忙しい毎日を送る中で彼は心身共に疲れ果て、ついには退職を考えるまでになっていたのです。

 なぜこのことに周囲は気づけなかったのでしょうか?

 それは彼がいつも「笑顔」でいたからです。「笑顔」を喜怒哀楽で表せば「喜・楽」で、余裕がない人の表情というイメージはありません。むしろ余裕がある状態とさえ思えます。そして「笑顔」の彼には次々に業務が渡されました。次第に業務が回らなくなり、厳しく叱責されることも増えていきました。

 このような話があります。日本文化の研究者であるPatrick Lafcadio Hearnは著「新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)」の中で「日本人は悲しい時でさえ笑う」とし、海外においては「不気味」で理解されないと語っています。そこでは、イギリス人の家に勤める日本人の女中が、「主人が亡くなったので休暇がほしい」と微笑みながら伝え、雇い主が「とても不可解であった」と語る例とともに、海外のビジネスシーンではこのことが原因で日本人が現地の人とトラブルになる場合も往々にしてあると記しています。もし皆さんがこの女中の雇い主だった場合、どの様に感じるでしょうか?この様な日本人の笑みはジャパニーズ・スマイルと呼ばれ、各国での研究対象にも挙がっています。つまり、日本人の心身状況を表情から把握することは難しいのです。

 では、当人の心身状況をどのように見極めれば良いのでしょうか?

 一つに、その人の作業の品質に変わりはないか、進捗に遅れはないか、など業務状況を確認してみることが考えられます。当人がこれまで出来ていたことが出来なくなっていたり、仕事が回らなくなったりしている場合は、何か問題が起きているかもしれません。少なくとも余裕がなくなっている可能性に気がつくことは出来ると思います。

 ただし、技術開発の現場では、一人が複数のプロジェクトを担当する場合も少なくないにもかかわらず、個別のプロジェクト毎に業務が管理されます。そのため、各個人の業務状況を管理者が確認するのは難しく、同じ部署の人でもお互いの業務を把握出来ていないことがあります。つまり、「業務が見えない」状態です。このような状態では、自分の業務を自身の判断のみでコントロールすることになります。ここで、経験の少ない若手は、自分の状況を正確に把握できていないため業務を引き受けてしまうことがあります。さらに、立場の上下で業務の押し付けが行われていたとしても周囲の人は気が付きません。その結果、知らず知らずのうちに業務に忙殺される人が出てしまいます。このような環境を改善するためには、「業務を見える」状態にする必要があります。それでは、「業務の見える化」には何が大事でしょうか?

 まず、各々が受け持つ「業務内容」の明確化が挙げられます。人数が多い場合は課内で少人数のチームを組み、その中で共有することも有効です。次に期限、必要工数等、「時間要素」の算出をすることです。簡単でも手間のかかる作業も少なくありません。この「時間要素」に付随して、作業の成熟度やスキルを含む「業務難易度」の把握も重要です。例えば、ベテランからは簡単だと思える半田付け作業でも若手にとっては難しく時間がかかることもあります。上記に挙げた三つの要素を、自分を含む業務関係者全員が簡単に把握できる状態が「見える」状態だと言えます。誰でも「見える」ことで、業務バランスを崩して余裕をなくしている人を見つけることが可能です。その様な人が出た場合、自分の作業に余裕があればフォローに入ることが可能です。上長も部下の業務を容易にコントロールできるようになります。つまり、「業務が見える」ことによって早めに業務負荷を調整していくことが可能となります。

 ちなみに、冒頭の彼は、ベテランの先輩社員に自身の業務状況を「見て」もらい、業務内容と役割分担を調整してもらうことで業務負荷を減らすことができ、時間的な余裕が生まれて徐々に持ち直すことが出来ました。そんな彼も、今では後輩の業務をマネジメントする立場にあるようです。

 昔話に笑顔を咲かせる彼に乾杯しながら、「本当の笑顔」が溢れる職場になればと思う次第です。

執筆:浅沼 邦夫
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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