多事想論articles

地デジ化の経験

 一部の地域を除き、7月24日に日本のテレビ放送が地デジに移行してから、早いもので1ヶ月が経ちました。技術の進歩により高品質な映像配信を可能にするこの社会的システムは、映像の楽しみ方の多様化を実現し、地デジ対応テレビ、レコーダーの購入やアンテナ取り換えなどの特需を喚起しました。 人々の生活に60年近く密着した一時代を作ったフォーマットが正午丁度に終了して、新しいフォーマットに一気に変わった時は、まさに世の中が変化した瞬間といえたのではないでしょうか。

 地デジ化による変化は多くの人に恩恵をもたらすものであったと考えます。しかし、人間が起こす変化が恩恵をもたらす過程においては、障害や混乱がもれなくついてくるもので、変化を起こす仕掛け人はそれらを乗り越えていかねばなりません。 今回の地デジ化は一斉に瞬間的に行われましたが、障害を乗り越えるために、「地デジカ」というキャラクターも登場させたりしながら、ちょっとしつこいと感じるくらいに何年も前から国民への案内は行われてきました。その長年の啓発活動の結果、クレームなどの問い合わせは切り替え3日間で20数万件だったそうです。 この数字は、今の日本の世帯数を5千万世帯とすると0.4~0.5%に相当します。 数字の捉え方は様々ありますが、大きなトラブルは報告されていなかったようですので、繰返しの案内が功を奏し、混乱を回避したといえるでしょう。

 このまま大成功を讃えてめでたしめでたしとしたいところなのですが、くどいほどの案内をしていたにもかかわらず200世帯に一つの割合で地デジ対応が出来ていなかったことが私にはショックでした。 地デジ化を管轄する総務省としてはこの割合は想定内だったというものの、日頃お客様の業務を変革して徹底することを推進する立場の私にとっては、これだけやったから伝わるだろう伝わっただろうという思い込みはいけないと肝に銘じた次第です。 問い合わせ電話をかけた方はテレビが見えなくなったと連絡するわけですから、普段からテレビを見ていたことは間違いないので、さすがに事前の案内や警告を見ていなかったということはないでしょう。それでも伝わらなかったのです。 原因として考えられるのは、テレビ画面を通じた音声や文字によるオーソドックスな案内に慣れてしまい、映らなくなるという切迫感が伝わらなかったか、それ以外の案内手段がうまく講じられていなかったということでしょうか。 メディアだけに頼らずに、たとえば人海戦術による案内や地デジ切り替えのリハーサルを行うことも有効だったでしょう。

 徹底することの難しさというものを再認識させられたと同時に、必ずしも完璧を求めるのではなく、"どのくらいの割合はダメでも良し"と許容する基準を考える機会にもなりました。製品であれば誤判定、誤作動など、サービスであれば、不徹底、不快適さなど、人相手では時間のルーズさ、価値観の違いなどがどこまでなら許されるのかです。 この基準は、モノ、コト、人によって千差万別なので一概に決められるものではありません。とはいえ、基準を見誤ったり緩めすぎたりと大きなトラブルになることは間違いありません。緩くしてはいけないものを緩くすると、先日の川下りの事故のような悲しい結果を引き起こしかねません。 許容できることと厳しくしなければならないことを見分け、それぞれの基準を適正に定めることが、事業運営、自分運営に欠かせないことです。そういう意味では地デジ化は合格点と言っていいのではないでしょうか。

執筆:北山 厚
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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