多事想論articles

「"ゆとり世代"が理想とする先輩・上司とは?」

 "ゆとり世代"と揶揄される人たちが社会に出始めてから10年近く経ちました。そんな"ゆとり世代"に対して多くのコラムニストや研究所の方が、「"ゆとり世代"の特徴は①受身体質、②ストレスに弱い、③プライベート優先、...」などといった分析をし、「対処方法は~」と持論を発信しています。しかしこういった持論を発信する方の大部分は"ゆとり世代"ではない別の世代の方です。発信者自身が"ゆとり世代"ではないため、"ゆとり世代"から収集したアンケート等の結果から客観的・定量的に"ゆとり世代"を論じることができる一方で、アンケートには書かないような本音や生の声を拾うことができていないのではないでしょうか?そしてそのような本音や生の声を拾うことができるのは"ゆとり世代"と同世代の人ではないでしょうか?
 本コラムでは"ゆとり世代"の当事者である私自身(1987年生まれ=ゆとり第一世代)が周囲の同世代の本音や生の声、実体験を元に、"ゆとり世代"が理想とする先輩・上司像の中でも特に話題に挙がる3つのポイントを述べたいと思います。"ゆとり世代"を後輩・部下に持つ方は本コラムを"ゆとり世代"を知って自分の先輩・上司としての姿を振り返る機会とし、また"ゆとり世代"の方は本コラムで共感するところ・異を唱えるところがあればそれを先輩・上司と話すネタにしていただければ幸いです。

・ポイント①:自分の感情をコントロールできる
 特に指導の場面でイライラや怒りをコントロールできることです。
 「ストレスに弱い」と言われる"ゆとり世代"は怒りの感情を表に出されて指導を受けると、指導内容そのものではなく相手の怒りの感情の処理に意識が向いてしまいます。すると「怒っているから反論せず、うなずかないと」という強迫観念にとらわれ、結果的に指導内容は頭に残らず落ち込んで終わりといった状態や、表面上だけ納得して根本的には納得していない状態になってしまい、本来の指導効果を得ることができません。相手の成長を促すための意味ある指導をするのであれば、自分の感情をコントロールして落ち着いた後に指導に入るとよいのではないでしょうか?
 ちなみに過去に私が感情コントロールが上手いと感じた先輩の指導法は、指導に入るときにあえて瞬間的に怒りを見せて私の意識を切り替え、指導中は普段以上に落ち着いた状態でゆっくり語り、最後は後ろ向きにならないよう明るい雰囲気で送り出す、というものでした。指導の最中には気付きませんでしたが、改めて考えてみるとありがたい指導だったなと感謝していますし、今でも指導内容を覚えています。

・ポイント②:相手の意見を尊重できる
 自身とは異なる後輩・部下の意見から価値を見出して、より良い結果につなげられることです。
 先輩・上司は「気軽に相談して・思ったことは何でも言って」と宣言して聞く体勢を取ってくれている一方で、"ゆとり世代"からは「こっちが言ったところで聞いてくれない・信じてくれない」という声が上がっています。なぜでしょうか?それは先輩・上司と"ゆとり世代"との間で、自身と異なる意見の捉え方が違うことが原因と考えられます。おそらく"ゆとり世代"の方が自身と異なる意見に対して、「そういう考え方もあるか」と事実として捉え、自身の意見を再考する傾向が強いと思います。なぜならば"ゆとり世代"が育ってきた環境では周囲に合わせることを良しとする雰囲気があり、逆に我を出したり、周囲と合っていなかったりするとKY(空気が読めない)などと言われたからです。そのため先輩・上司に簡単に意見を否定されると、「えっ、何でそんな簡単に否定できるの?」、「自分の意見が違う可能性をもう少し検討しないの?」、「本意を分かろうとしてもらえてないのかな?」と思ってしまい、結果として「聞いてくれない・信じてくれない」といった声につながっていると私は考えます。
 結論として、"ゆとり世代"の意見を尊重するために、まずは相手の意見を受け止めること、次に意見自体を否定するのではなく、違う意見となった要因をディスカッションすると良いのではないでしょうか?

・ポイント③:相手の尊厳を守ることができる
 後輩・部下は同じ一人の人間であると同時に、違う価値観を持っていることを意識して対応できることです。
 例えば言葉遣いについて考えてみます。一例として上司が部下に対して「馬鹿かね、君は。」という発言をしたとします。この言葉遣いについてどう思いますか?世代に関わらず、やはり「馬鹿」という言葉遣いは相手の尊厳を守っていないように感じるのではと思います。では「君」という言葉遣いはどうでしょう?名前を呼ばれないことについては、"ゆとり世代"の方が敏感に反応するのではないでしょうか?このような反応の差が生じる原因の1つは、上下関係について学ぶ小中高といった教育現場の環境変化ではないかと考えています。教師が生徒を呼ぶときに以前は「お前」と言っても問題とされなかったのが、徐々に名前で呼ぶようになり、次は敬称をつけるようになり...という変化を受けて、上の人が下の人を呼ぶ際の基準が変わってきているのではないでしょうか?
 尊厳を守れているかどうかは、パワハラ、セクハラ等と同様に、自分ではなく相手がどう感じているかが基準になります。自分の価値観や判断基準を絶対とせず、"ゆとり世代"の価値観や判断基準、さらには世の中の変化を敏感に捉えて柔軟に対応できるとよいのではないでしょうか?

 以上が周囲の同世代の声を元に私が考察した"ゆとり世代"が考える理想の先輩・上司の3つのポイントです。ポイントだけで見ると当たり前のことかもしれませんが、ポイントを達成するために具体的に何をすべきかを考えると世代間の差が出るように思えます。この差について"ゆとり世代"を後輩・部下に持つ方は、「甘えているだけでしょ?」、「何様のつもり?」といった意見を持つかもしれませんが、①イライラせずに、②事実として受け止めて、③こういう価値観もあるのかとご理解いただければ幸いです。そして本コラムが今後の後輩・部下との関係性の向上に少しでも役立つことを願います。

 ちなみに...。"ゆとり世代"の方も近い将来上記のような理想とする先輩・上司となるために、今の先輩・上司の指導を素直な心で受け止めて次のステップにつなげられると良いですね。

執筆:石川 雅久
※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

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