多事想論articles

DIY

 DIY。最近良く耳にするワードです。皆さんの中にもDIYをやっている方もおられるかもしれません。DIYとはDo It Yourselfの省略形で、元々は戦争によって破壊された街を、何とか自分たちの力で、取り戻そうという活動から来ているそうです。本来の意味としては、何はともあれ、自分たちが生きるために、余裕が無い中で、最優先でやらねばならないことをがむしゃらにやるということなのだと解釈しています。今よく聞くDIYとは随分と違うと思いませんか。

 最近のDIYは前述の通り、DIY工作アドバイザーなどの資格もあるくらい、言葉の意味がものすごく広がっている気がします。そして感じるのは、DIYに取り組んでいる方は、サバイバルのためにするというより、現在の生活にそれなりに満足して比較的余裕があってやっているというのがマジョリティではないかということです。「先週、自分で本棚を作っちゃったので5千円浮いた。」、「部屋の壁紙を2日がかりですべて張り替えた。筋肉痛は残ったけど。」と言えるような人たちに、サバイバル感は微塵も有りません。材料の調達から、準備、実作業に自分のお金、時間をつぎ込める余裕があると捉えるのが自然です。そして、ものを作るのが楽しみであればそれに没頭することは有意義なことだと思います。

 ここでテーマとして挙げた"余裕"は、昨今のワーク・ライフ・バランスの推進や時短の流れで、プライベートに費やせる余裕としての時間が増えたことと関係有りそうです。一方で、日本の1人当たりGDPは世界で27位と、先進国の中で最も低い生産性となっていることは皆さんご存知のことでしょう。するとここで、生産性が最低なのに、上述のとおりそんなに余裕で果たして大丈夫なのかという疑問が生じてきます。高度成長期から良い価値を適正な価格で提供してきた日本ですが、組織としても、個人としても価値提供するための生産性の向上が十分になされていないまま、仕事の範囲を広げることもせずに時短が行われているケースが多々見受けられます。これでは実質的な生産性は下がってしまいます。

 本来、仕事の生産性を上げなければ、仕事面でも、プライベート面でも楽や余裕は獲得できないはずなのですが、現実に今、余裕は発生しています。そこで生まれた余裕を有限に与えられた時間の中で、何処にどう使おうが全く個人の自由ですし、正解など有りません。ただ、AI、ロボティクスに約半数の仕事が奪われるということが各方面で話題となる中で、最終的に、仕事がほとんど無くなり、DIYで自給自足という原始的な世界が、この先に待っているのではともイメージできてしまいます。それが明るい未来なのかはさておき、どんな未来が待っていようが、真の余裕を得るために、自分が出している価値、生産性にもう少し鋭敏になってもよいのではないか。こう考えてしまうのは公私共に余裕が無い?私だからかもしれませんが。。。

執筆:北山 厚 ※コラムは執筆者の個人的見解であり、ITIDの公式見解を示すものではありません。

資料ダウンロードはこちら